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東京地方裁判所 昭和46年(ワ)1474号 判決

原告 小暮英夫

右訴訟代理人弁護士 山口博久

同 小林勇

被告 今橋健雄

同 松苗富代

右被告両名訴訟代理人弁護士 佐藤軍七郎

主文

(一)  別紙第二物件目録記載の土地部分が、別紙第一物件目録(一)表示の土地の一部で原告の所有地であることを確認する。

(二)  原告のその余の請求を棄却する。

(三)  訴訟費用はこれを二分し、その一を原告の、その一を被告の負担とする。

事実

第一当事者の求めた裁判

(原告)

(一)  主文第一項と同じ趣旨。

(二)  被告今橋健雄は原告に対し、東京法務局備付旧土地台帳附属地図中の別紙第一物件目録(二)記載の土地に該当する部分の内、別紙図面イロハニイで囲まれた土地部分(一五・〇二四平方メートル)の地番の記号342を345に訂正する申出手続をせよ。

(三)  被告今橋健雄は原告に対し、東京法務局備付旧土地台帳附属地図中の別紙第一物件目録(三)記載の土地に該当する部分の内、別紙図面ハニホヘハで囲まれた土地部分(三・七五六平方メートル)の地番の記号341~1を345に訂正する申出手続をせよ。

(四)  被告松苗富代は原告に対し、東京法務局備付旧土地台帳附属地図中の別紙第一物件目録(四)記載の土地に該当する部分の内、別紙図面ホヘトチホで囲まれた部分(九・三九平方メートル)の地番の記号341―2を345に訂正する申出手続をせよ。

(五)  訴訟費用は被告の負担とする。

(被告ら)

(一)  原告の請求を棄却する。

(二)  訴訟費用は原告の負担とする。

第二当事者の主張

一  原告の請求原因

1  別紙第一物件目録(一)表示の土地(以下「土地(一)」という。)は、原告の所有地である。

同目録(二)表示の土地(以下「土地(二)」という。)及び同(三)表示の土地(以下「土地(三)」という。)は、いずれも被告今橋健雄の所有に属している。

同目録(四)表示の土地(以下「土地(四)」という。)は、被告松苗富代の所有に属している。

2  別紙第二目録に記載した土地部分(以下「本件係争地」という。)は、土地(一)の一部であって、原告の所有地である。

3  ところが、被告今橋健雄は、本件係争地中別紙第二物件目録中の図面イロハニイを順次結んだ線で囲んだ部分(以下「甲部分」という。)は土地(二)の一部であり、同図面ハニホヘハを順次結んだ線で囲んだ部分(以下「乙部分」という。)は土地(三)の一部であって、いずれも同被告の所有地であると主張している。

また、被告松苗富代は、本件係争地中同図面ホヘトチホを順次結んだ線で囲んだ部分(以下「丙部分」という。)は土地(四)の一部であって、同被告の所有地であると主張している。

4  しかし、本件係争地はすべて右2主張のように原告の所有地であるから、その旨の確認を求め、及びかかる紛争の原因となった関係公図(旧土地台帳附属地図)中の記載の誤りを訂正するため被告らが関係登記所に所要の申出手続をすることを求めて、本件訴えに及んだ。

二  請求原因に対する被告の答弁

1  請求原因1の事実はすべて認める。

2  同2の事実は否認する。

3  同3の事実は認める。

4  同4は争う。

三  本件紛争地の帰属に関する当事者双方の主張

1  原告

(一) 被告ら所有名義の別紙第一物件目録(二)、同(三)及び同(四)のように表示される各土地(すなわち、土地(二)から土地(四)まで。以下、「土地(二)ないし(四)」と略す。)は北側隣接の被告今橋所有名義の青山七丁目三四〇番の一の土地及び被告松苗所有名義の同所三四〇番の二の各土地と合わせて一個の住宅地の状況になっているが、それらはすべてもと原告の所有地であったものである。その権利移転の経過は、次のとおりである。

(1) 土地(二)はもと原告所有であり、土地(三)及び(四)はもと原告所有の東京都港区麻布町一八二番地の六の一筆の土地の一部であったが昭和二五年八月二四日分筆されたものであるところ、いずれも同月二五日原告から訴外鈴木あさ子に売却され、さらに昭和二八年一二月二日に訴外森下トクに、昭和三四年一月二〇日に訴外大塚庄蔵に、昭和四三年四月一六日に被告今橋にと順次売却譲渡され、今日に至った。その間地番表示が今日の青山七丁目三四二番と三四一番とに変更されたほか、昭和四四年二月二〇日に土地(三)と土地(四)とが分筆され、土地(四)の方は昭和四四年三月一八日被告松苗富代に譲渡された。

(2) 前記青山七丁目三四〇番の一及び同二の土地の方は、昭和三七年一〇月三日前記麻布町一八二番地の六から原告により分筆され(当時麻布町一八二番の一六と表示)、同月一一日前記訴外大塚庄蔵に売却譲渡され、昭和四三年四月一六日本件土地(二)ないし(四)とともに被告今橋に売却譲渡され、今日に至った。その間地番表示が今日の青山七丁目三四〇番に変更されたほか、昭和四四年二月二〇日に同番の一と同番の二の二筆に分筆され、同番の二の方は本件土地とともに同年三月一八日被告松苗に譲渡された。

(二) 原告は、前記昭和二五年八月二五日訴外鈴木あき子に対して土地(二)ないし(四)を分譲するにあたって、本件係争地を売り渡してはいない。そのとき、原告は本件係争地以外の部分を実測して分筆譲渡しているのであるから、土地(二)ないし(四)の登記簿上の面積の計と前記南青山七丁目三四〇番の一・二以外の被告らの土地の実測面積は一致している。

したがって、本件紛争地は依然として原告の所有地の一部である。

なお、土地(一)は青山七丁目三四七番地先の公道とその奥にもと原告が所有していた土地(同所三三七番、三三四番一、同番二、三三〇番二、同番三等)と結ぶ道路であって、本件紛争地もまたそれと一体をなす道路の状況である。原告は、通路として土地(一)を確保してきたのであるが、前記訴外鈴木あさ子に対して土地(二)ないし(四)を分譲するにあたって本件紛争地を含めて売り渡し、自己はその上の使用権のみで我慢するなどということは到底あり得ないことである。

(三) 関係公図(旧土地台帳附属地図)の記載上土地(二)ないし(四)が本件係争地(現地)上にかかっているような形状になっているが、これを原告が知ったのは、昭和三七年九月六日前記(二)(2)の大塚庄蔵に同所三四〇番の土地を売り渡した直後、登記に際してのことであった。しかし、公図の訂正をすることができないまま今日に至ったものである。

2  被告

(一) 右原告主張(一)の事実は認める。

同(二)は否定する。ただし、本件係争地を近隣の者が通行していることは認める。

同(三)のうち、関係公図における土地(二)ないし(四)の形状がそのようになっていることは認める。その余は争う。

(二) 本件係争地は、原告がすでに土地(二)ないし(四)の一部として売渡しずみのものである。

すなわち、原告も認めるように、関係公図に記載された本件土地(二)ないし(四)の形状からすれば、本件係争地は右各土地の一部に属するようになっており、しかも、これらの土地は原告が分筆し、その申請に基き右公図が作成されたものである。また、原告所有の本件土地(一)は、大正九年三月三〇日の分筆以来表示上一五四坪二合二勺とされていながら、原告がこれを昭和二三年一月一二日売買により取得した当時から公図上のその位置形状は変っておらず、登記簿上の表示より実際が著しく狭い形状になっていることは、原告の熟知していたこところである。しかるに、原告が本訴において公図の記載形状と実際が異なるといって主張するのは、失当である。

また、南青山七丁目三三九番の宅地の所有者訴外小西信也等の土地(一)の東側の土地所有者らは、原告が右土地を取得した昭和二三年一月以来、本件通路の通行料として、年一、〇〇〇円を原告に支払ってきた。しかし、原告は、土地(二)ないし(四)の前所有者(鈴木あさ子外二名)に対しては右の通行料を請求したことはなく、被告両名に対しても同様であった。この事実は、原告が本件係争地が右の者らの所有に属していたことを認めていたことを物語るものである。

(三) 仮に本件係争地が原告の所有に残されていたものであるとしても、被告らは、時効によりそれらの所有権を取得している。

すなわち、本件土地(二)ないし土地(四)の所有権は前記原告主張(一)(2)のとおりの経過で売買移転されたものであるところ、これら売買の当事者は、いずれも公図により、目的物の区画がそのとおりであると信じて取引を行ない、その都度占有、使用が引きつがれてきたものである。したがって、被告ら及びその前主らは、本件係争地部分をも含め、これらの土地を所有の意思をもって平隠かつ公然に占有していたもので、しかも占有の始め善意にして過失がなかった。その期間は、前主らの占有期間をも通算するとすでに一〇年以上になっているので、被告らは、すでに時効により、本件係争地の所有権を取得している。

3  原告

(一) 右被告の主張(二)の事実のうち、原告の主張に反する部分は争う。

(二) 右被告の主張(三)(時効取得)の事実は、否認する。被告今橋の前主訴外大塚庄蔵も、本件係争地を同被告に売ってはいない。また、被告ら以外に、誰も本件係争地について所有権を主張した者はいない。

第三証拠≪省略≫

理由

一  被告らの本件係争地の売買取得の成否

まず、被告今橋が昭和四三年四月一六日別紙第一物件目録記載(二)から(四)までのように表示される土地(すなわち、土地(二)ないし(四))を売買により取得することにより、本件係争地の所有権をも取得するようになったか否かを検討する。

土地(二)ないし(四)までがもと原告の所有であったこと(そのうち土地(三)及び土地(四)は原告所有の一筆の土地から原告が分筆)、昭和二五年八月原告がこれを訴外鈴木あさ子に譲渡し、以来訴外森下トク、同大塚庄蔵を経由して、昭和四三年四月被告今橋がこれを売買により取得したことは当事者間に争いがない。そして、≪証拠省略≫を総合すると、本件係争地は、別紙第二物件目録中の図面記載のように、関係公図上本件土地(一)(原告の所有であることは当事者間に争いがない。)に相当する部分とつながって港区南青山七丁目三四七番、三四八番等先の公道とその奥の同三三七番等の土地(もと原告所有)とを結ぶほぼ一直線の道路の状況をなしていること、及びこのような状況は原告が土地(二)ないし(四)を訴外鈴木あさ子に譲渡した頃も同様であり、現在までさしたる変化はなかったことが認められる。また、≪証拠省略≫によると、原告は昭和二二年二月訴外株式会社丸ビル扶桑商会から本件土地(一)、土地(二)及び前記町一八二番地の六(旧表示)の土地を買い入れたほか、町右一八二番地の六の土地の近辺に数筆の土地を所有していたこと、並びに当時道路にすぎなかった土地(一)を取得したのは、その余の自己所有地から前記公道に至る通路にするつもりであったことが認められる。そして、右認定事実に≪証拠省略≫を加えて総合考察すると、原告は本件係争地部分は原告所有名義の土地(一)の一部であると考えており、昭和二五年土地(二)ないし(四)を訴外鈴木あさ子に売り渡すにあたり道路部分であった本件係争地を含むものとして譲渡したのではなく、その西側の建物敷地部分を実測して登記簿表示分だけ譲渡したものであること、被告ら以外のその後の承継人(被告今橋の直接の前主である大塚庄蔵をも含む。)らも本件係争地の所有権を取得したものとは考えていなかったこと、右大塚庄蔵が昭和四三年に土地(二)ないし(四)ほか一筆を被告今橋に売り渡すにあたっても本件係争地が売買目的に含まれるものとして処分したものではなかったことが認められ、この認定を左右するに足る証拠はない。そうだとすると、本件係争地は、いまだ処分されることなく原告の所有地として残されているものといわなければならない。

もっとも、関係公図(旧土地台帳附属地図)においては土地(二)から土地(四)までの位置、形状がそれぞれ本件係争地に相当する部分をその中にとり込んでいる記載になっていることは当事者間に争いがなく、また、≪証拠省略≫を総合すると、被告は昭和四三年訴外大塚庄蔵から本件土地(二)ないし(三)ほか一筆を買うにあたり、仲介者から関係公図の写しを見せられ、土地(二)ないし(四)は本件係争地を含んでいるものと考えていたことがうかがわれる。そして、公図(土地台帳附属地図)は、後記四2に述べるように、土地台帳制度の廃止以後も現行不動産登記法第一七条の規定による地図が整備されるまでの間なお登記所に備えられて一般の閲覧に供する取扱いがなされている公的資料であり、現実の不動産取引において目的物の位置、範囲を知るための有力な資料として利用されているものではある(当庁昭和四六年(ワ)第七、八一八号事件、昭和四八年五月三〇日判決参照)。しかし、その記載自体は権利の外延(土地の各筆の区画)を示すにつきいわゆる公信力を有するものでないことはもちろん、その沿革からして必ずしも精度の高いものではないといわれ、ことに本件土地(一)から土地(四)までの附近一帯の各土地については、前掲各証拠及び弁論の全趣旨によると、関係公図におけるそれらの形状、面積の具合には実地に照らしてかなり不正確なものがあることがうかがわれる。また、本件係争部分を除いた場合の土地(二)ないし(四)の実面積が登記簿表示より少なくなるということを認めるに足る証拠もない。

そうだとすると、被告今橋が土地(二)ないし(四)(ただし、当時(三)と(四)とは一筆)を取得し、関係公図上のそれらの形状が被告所論のとおりであるとしても、それだけで前認定の原告の処分保留にもかかわらず同被告が本件係争地(現地)を取得したということはできない。したがってまた、その後の土地(四)の分筆譲渡により、被告松苗が本件係争地中の丙部分を取得したことにもならない。

なお、被告主張の通行料の支払の点は、≪証拠省略≫によると、右被告主張のようなことが認め得られるが、これをもって本件係争地の所有関係を左右するに足る資料とすることはできない。

二  被告らの本件係争地の時効取得の成否

被告らは、本件係争地が原告の所有に残されていたとしても、時効によりこれを取得していると主張する。

しかし、被告今橋が本件土地(二)ないし(四)を取得したのは昭和四三年であるところ、これらの土地の前主たちが本件係争地を所有の意思をもって占有していたことを認めるに足る証拠はなんらないので、右被告らの抗弁は採用することができない。

三  本件係争地の帰属地番

本件係争地が以上のように原告の所有に属するとしても、それが原告所有名義の土地(一)の一部となるかどうかは、なお別個の問題である。本件係争地中の甲、乙、丙の各部分は、土地(二)、土地(三)又は土地(四)のそれぞれ一部であって原告が売り残したものであるとの理解を容れる余地なきにしも非ずであるからである。

しかし、前記原告主張事実の認定に供した各証拠を総合すると、(イ) 本件係争地の部分はかなり古くから道路になっており(≪証拠省略≫によれば、明治三七、八年頃からの道路であるという。)、しかも道路である現在の公図上の土地(一)部分と一体となった状況を呈していること、(ロ) 土地(二)ないし(四)の実面積は本件係争地を含めなくても登記簿表示のものがあること(反証はない。)、(ハ) この近辺の土地においては各筆の面積等の実際と公図記載の具合とのズレが少なくなく、特に土地(一)については実面積の不足が著しいこと、(ニ) 昭和二五年当時においては、土地(一)、土地(二)及び旧表示町一八二番地の六の各土地はすべて同一人(原告)に属しており、その者の本件係争地は通路である土地(一)の一部であるという理解のもとに右土地(二)や旧表示町一八二番地の六の土地に処分が加えられたという経緯があったことが認められ、これらの事実によると、本件係争地は別紙第一物件目録記載(一)のように表示される土地(すなわち、土地(一))の一部であるとするのが相当である。

四  原告の請求の当否

1  以上の次第で、原告の請求中被告らとの間で本件係争地の所有権の確認等を求める部分は理由がある。なお、本件の場合にあっては、弁論の全趣旨からすると、係争地が特定の原告所有名義地の一部であることの確認を求める部分も当事者間の権利関係の存否確定の性質をももつ(公図訂正の原因確定にもつながる)ものであるものと解される。

2  次に、原告は、被告らがそれぞれ旧土地台帳附属地図(前記のいわゆる公図)の記載について本件係争地中の各関係部分を原告所有名義の土地(一)の区画に入れるための所要の訂正をする申出手続を所轄登記所に対してすべきことを請求している。しかし、右請求は、次の理由で失当である。

すなわち、土地台帳附属地図(すなわち、旧土地台帳法の附属法令である旧土地台帳法施行細則第二条の規定による地図)は、昭和三五年法律第一四号による土地台帳制度の廃止後も、現行不動産登記法第一七条の規定による地図が整備されるまでの間なお従来の取扱い(昭和二九年六月三〇日民事(甲)第一、三二一号・法務省民事局長通達・土地台帳事務取扱要領等による。)のとおり、所轄登記所に備えられて閲覧に供されており、その記載の誤りの訂正手続についても、従前のとおり、所有者その他の利害関係人は訂正の申出をすることができ、登記所において訂正を相当と認めるときはその訂正を行なうという取扱いがひき続いて維持されている。しかし、この所有者等のする申出はいわば訂正についての登記官の職権行使をうながすという性格のものであると解され、右訂正の申出をすべき者についていわゆる双方申請主義による取扱いがなされているわけではない(訂正を相当とする十分な資料があれば、接続地所有者の承諾がなくても訂正がなされることがある。)。もっとも、相手方が申出手続に加わっていれば訂正が円滑に行なわれるのが実際であろうが、利害関係人の一方が相手方に対して訂正に関して登記請求権類似の請求権をもつものではない。したがって、原告が被告らに対し前記旧土地台帳附属地図の訂正申出手続をすることを求める権利があるということはできない。

五  以上の次第で、原告の請求中本件係争地の帰属地番と所有権の確認を求める点を認容し、土地台帳附属地図の訂正を求める点は棄却し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第九二条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 内田恒久)

〈以下省略〉

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